うずのなか

はつかのこころのうずのなか

私には使えない魔法。

私には使えない魔法を使う人がいる。

 

一番近いのは祖母。私が同じように作っても、祖母が作るご飯にはかなわない。
幼いころ、共働きだった私たち三姉弟にご飯を作ってくれたのは祖母だった。カレーもコロッケもハンバーグも餃子もシチューもなにもかも、祖母の味で育った。大きくなって、私がご飯を作るようになっても、祖母の味にはなにか及ばない。その何かがわからなくて、たぶんそれを「魔法」というのだと思う。あるいは、「記憶」だったり、「愛情」でもいいかもしれない。それでもやっぱり「魔法」だと思う。祖母だけが使える、祖母の魔法。

遠い例でいうと、音楽。それから、絵。音を生み出したり、歌をつむいだりする人の、指や声や震える空気は魔法だと思う。私では生み出せないそれは、もちろん努力の上になりたっていることは承知なんだけれど、やっぱり私にしてみればきらきらとした不思議な魔法に相違ない。同じ道具を使っても、私には同じ音は奏でられない。同じ絵具を使っても、私には素敵な絵を描きあげることができない。そこにある何かを、やっぱり言葉にするならば、「魔法」だと思う。その人が使える、その人だけの「魔法」。

 

私の手元にある魔法はなんだろう。
私に扱えるのは、五十音の文字だけ。それを並べ替えた単語を使って、更に大きなものを編む。編む。編む。どれくらいの大きさの、どんなものが編めるのかわからない。とにかく編んでみないことには、はじまらない。

編んだとて、それがなにになるかわからない。わからない。

誰かの元に、何かになるかもしれないと、そう願って、編むしかない。

 

そんな日々です。

小説は1700字まで育ちましたが、終わりが見えません。まいったなあ。

総体としての何か。

小説を書いている。

ちまちま書き始めたそれは、正直どこにどういくのかも何も決めていなかったので、手探り手探りで、毎日書いたり書かなかったりしている。

小説を書いていて思うのは、小説家はすごいということだ。

私は、自分の考えやなんやかんやを言葉にしたくてこうして日々文章を書いたりなんだかんだりしているけれど、でも言葉にできる感情なんて本当に爪の先くらいで、言葉にできない感情が山のようにある。

小説家は、それをひろいあげる。ひろいあげて、でも直接言葉にしてしまうと「後悔」とか「悲しみ」とか「自己嫌悪」とか「喜び」とかいう薄っぺらくなってしまうそれを、物語の中で立体的に組み上げて届けてくれる。

これがとんでもなく凄い。すごすぎて腰抜けちゃう。

私は自分の感情がどうなっているのかわからないし、形のないそれを、それでも形のないまま伝えるにはどうすればいいのかも、わからない。

きっと、私は自分が病気になったときの感情や、空気や、息苦しさや、死にたさや、それでも生きていることを、誰かに、あるいは自分自身に、伝えたくて物を書いている。でも、どうしたらそれが、立体的に立ち上げて小説として感情を伝えることができるのか、皆目見当もつかない。

見当もつかないけれど、書いている。

二次創作は「私の『解釈』をこの世に顕現させなくては」という謎の使命感がエンジンとなって稼働していたんだけれど、私にこの小説を書かせるエンジンって何だろう。

たぶん、私は知りたいのだ。

自分が病気になったことで、何を得たのかを、知りたいのだ。失ったものはたくさんある。でも得たものが何かと言われれば、それは言葉にできない。確かに何かを得た。得たと思う。だって、それが私の人生のほとんどだったんだから。でも、それが何かわからない。私が今手に持っているこれが、なんなのかわからない。

きっと、それを知りたいだけなんだ。それを知りたくて、その手段として私には書くことしかない。

小説という形をかりて、その総体として、私が得た何かを見つけたいのだと思う。

友達が少ない。

友達が少ない。

およそ友達だと言える人間は、片手で収まる数しかいない。
こうかくと、五人もいるように思えるけれど、実際は三人なので親指と小指ぶんサバを読んでいる。

そもそも、友達の定義が難しいと思う。

私は小学生のころから姉に「お前は友達がいない」と言われ続けてきた。その暴言に多少の傷を負いながら、だけれどもそんなことはないと思っていた。学校に行けば話す子はたくさんいるし、孤独だと感じたことはなかったからだ。だから、姉は私にいじわるをしたくて、そういう根も葉もないことをいうのだとずっと思っていた。

 

「この子、昔から友達いなかったから、こうして仲良くしてくれる子がいてくれて安心したわ」

姉がそう言ったのは、私が地元で友人と遊んだ日だった。仕事帰りの姉と都合があったので、姉の車で、夕方に一緒にジェラートを食べに行った。

後部座席にのる友人が「友達、いなかったんですか」と笑いながら聞いた。彼女は高校時代の友人で、唯一連絡を取り合っている子だ。三本の指の人差し指である。

「いなかったよお、こっちが心配するくらい」

失礼な、と思った。それから、もう二十歳を超えた(というかどちらかというと三十路に近づいている)姉が、未だにそんな意地悪をいうのを不思議に思った。

「失礼だな、いたよ、友達」反論する。

「いなかったよ。放課後とか、誰とも遊ばなかったじゃない。誰かの家に遊びに行くことはほとんどなかったし、いつも家で本読んでて、友達いなかったでしょ」

「そういう子はいなかったけど、学校にはいたよ」

「そういう友達がいないことを心配してたの。親友とか、いなかったでしょ」

姉がいう。確かに、私は家に友達を呼ぶこともなければ、呼ばれることもほとんどなかった。だけどそれを苦に思ったことはなく、家に帰れば祖父母が水戸黄門を見ている横で本を読んでいた。そういえば、昼休みも基本的に寝るか本を読むかしていたな。あれ?

「だから、昔から友達いなくてね。本当に仲良くしてくれてありがとね」

姉が友人に向かって、小学生の母親みたいなことを言う。その声を聴きながら、もしかして、という仮説が私の中で浮かび上がった。
「もしかして、私に友達がいないって、あれ、いじわるで言っていたんじゃないの?」

 

十数年越しの真実なのだが、どうやら私には友達がいなかったらしい。
その「友達がいない」は小学生から引き続き今も継続していて、定期的に連絡を取り合う友人は三人だ。高校の時の友人がひとり、大学がふたり。大学生だったことは、八人くらいのグループで行動することもあったが、卒業してまで連絡を取り合って会うのはふたりのみだ。共同体を抜けてまで維持する繋がりが、私には非常に少ないのだと、改めて認識した。

そもそも、友達という定義が難しい。姉が言う友達は、用がなくてもあったり話したりする仲で、それって相当仲良くないと無理だ。休みの日は休みたいし、寝たいし、本読みたい。こうして文もかきたい。それを押しのけてまで会いたいと思う人間って、正直それほど多くはない。それほど多くないので、学校という会う場所がなくなってしまうと、自然と糸が切れてしまう。

こういうの、普通だと思ってたんだけど、どうやら違うらしい。
いや、わからない。他人の友達事情をしらないので、なにもわからない。知り合いと友達の境界線もわからないし、毎週友達と会ってるみたいな人のアクティブさも理解できない。
私にわかるのは、私が「友達だ」と言って「(え、勝手に友達認定される!)」って思わないだろう相手が三人しかいないってことだけだ。しかいないのか、もいるのか、わからない。

だけど、嫌なことがあったときに、愚痴を聞いてくれる友人が三人いるってことはありがたいことだと思う。あと、私にはこれくらいの小ささがぴったりな気もする。あまり多いと、いろいろと大変そうだし。

姉の意地悪は意地悪じゃなかったと知ったときは、少しショックだったけど、多ければ多いほどいいってもんでもない。たぶん。友達百人できるかなって思ってた保育所のころの私には少し申し訳ないけれど、それでも会いたくなったら気軽に連絡できる相手が三人はいます。これで満足してください。少ないけど、最高の友人です。

 

とはいえ、親指と小指に数えられる人も募集しているので、誰か立候補してくれてもいいですよ。

どうせ汗をかくなら。

どうせ汗をかくなら、思いっきりかきたい。

朝、むしっと暑いキッチンでカフェオレを飲みながら、ふとそう思った。

梅雨の晴れ間はうれしいが、むっとするような暑さで立っても座っても寝ても起きても汗をかく。肌着は常にじとっとしているし、湿度が高くて水の中を泳いでいる気持ちになる。朝食を済ませた後、昨日のマーマレード煮の煮汁で大根を炊きながら、こういう日に取るべき行動について考える。つまり、むしっと暑くて嫌な日を、最高の一日にするための行動。

思いつき、姉に電話を掛ける。
何回かのコールのあと、「おはよお」と寝起きの声がスマホから響く。
「あんさあ、岩盤浴、いかへん?」

というわけで、姉と岩盤浴に行った。
姉との外出はよい。お互い気を遣う必要がないので、気兼ねなく寛ぐことができる。姉は最近恋人と同棲を初め、実家から少し遠いところに引っ越した。その割には、定期的に実家に顔を出すので、そういうところは少しだけえらいなと思う。今日も、岩盤浴に入りながら母の体調の話をすると、「週に何度か家に帰ろうか」と言った。いまのところ、私は大学院生で時間の調節がしやすくて、家事などもろもろなんとかなっているので大丈夫だと言っておいたが、実家の様子をちゃんと気にしている人がいることはありがたいなと思う。

岩盤浴はゆっくりと汗をかくところが好きだ。最初、うつぶせで内臓を温めるところも好き。じんわりと身体の奥があったまって、自分の内部が冷えていたことに初めて気づく。ほかほかしてきたら、今度は上を向く。ぼんやりと目を閉じてるのか開けてるのかわからないなかで、頭をからっぽに持っていく。寝ているような、寝てないような感じで揺蕩っていると、なにかおっきなものに包まれている感覚を覚える。自分が少しだけ宙に浮いて、ゆらゆらする。

いっぱい汗をかいて、水分をとって、それからお風呂でさっぱりして。そのあと食べる昼ご飯は格別においしかった。

姉が、私の思い付きの提案に付き合ってくれるのは、私が家の事を諸々担っている罪滅ぼしなのかもしれないな、と思う。だとしたら、ちょっと悪いなって気もするけれど、でも姉も気持ちよさそうに汗をかいていたから、いいかなとも思う。次は一緒に夏物の服でも見に行きたい。そろそろセールの時期だ。本格的に夏が始まる。

昼下がりの帰りの車の中で、大学生活最後の夏について思いをはせた。

 

そういえば、短歌を読んでみたらどうですか?といっていただいて、31文字で風景を切り取るのは難しいと思うのだけれど、やったことないことにチャレンジするのも楽しそうだと思うので、少し試み。

すと伸びる蓮のつぼみの桃色に梅雨の香りの甘さを味わう

 

う~~~ん、どうかなぁ。わからん!

日記。

【本当にただの日記なので、面白くないです。】

朝起きて、キュウリサンドウィッチを作った。

きゅうりを丸一本スライスして、塩もみ、15分置く。それを軽く焼いたトーストに挟む。ハムも忘れずに。味付けはマヨネーズと黒コショウ。きゅうりの歯ごたえがしゃきしゃきとして、夏らしくおいしい。みずみずしい歯ざわりが、寝起きですっからかんな身体をしゃっきりとさせてくれるようだ。青いきゅうりの香りが鼻から抜けると、自分が夏に居ることを思い出す。

それから、掃除機をかけた。母が体調を崩しているときは、家の掃除は私の仕事だった。誰が決めたわけでもないけれど、リビングや廊下が汚れていくのに真っ先に耐えられなくなるのが私というだけの話で、私にしたって、自分の部屋の掃除機かけのついでくらいに思っている。何事も、「やらなくちゃ」が一番苦手で難しい。「ついでに」くらいの気軽さが私にはちょうどよくあっている。

ここ数日降り続く雨のせいか、フローリングがざらざらとしている気がした。このぐずぐずした天気をさっぱり晴れにできればいいが、あいにく私にはそんな力はない。妥協案として、フローリングの水拭き用シートをモップの先に着けて拭きあげる。掃除機では取れない汚れがうっすらシートを灰色にしていく。

それが終われば、次はトイレ掃除。便座を上げて拭く。一人暮らしをしていた時にトイレ掃除はしていたが、家族四人が毎日使うとなると、その汚れ方は一人暮らしの比じゃない。特に今はみんな家で授業を受けたり仕事をしたりするから、余計。あまり好きな仕事とは言えないけれど、掃除後ににおいの取れたトイレを見るのは、少しだけ好きだったりする。

一通り掃除が終わったら、キッチンで夕飯に向けて一品作る。親戚から子芋が大量に届いたため、煮っころがしを作る。小さなじゃがいもを一個ずつ洗うのは手間だが、私はじゃがいもの煮っころがしが好きなので、好きなもののためにはえいやこら、しょうがない。すこし大きめのじゃがいもは半分に、ちいさいのはそのままで。鍋に入れて、酒醤油みりん砂糖で、落し蓋をして煮る。甘辛い香りが、雨の湿気に交じってリビングを包む。梅雨はいつもよりも、あらゆるものの香りを運んできてくれるような気がする。草木や、土や、川の、むっとするほど濃くて青いにおい。それに混ざって、じゃがいもの土の香りと醤油の香りがする。

煮詰めている間に、キッチンに椅子を持ってきて本を読む。よしもとばななTUGUMI』。吉本ばななの情景描写がすごすぎて、すべてにマーカーで線を引きたいくらいだと思う。こんな、人の脳みそに光を指すような表現ができれば、どれだけ楽しいだろうかと想像してみる。想像してもわらかないけれど、きっと吉本ばななと私が同じものを見ても、彼女のほうが私の何倍も美しくそれを感じることができるのだろうと思うと、少し悔しい。

じゃがいもは順調に煮えて、半分に切ったやつは少し煮崩れたけれども、おいしそうな煮っころがしが完成した。私は本格的に本を読む体制に入り、残り少なくなった『TUGUMI』を読み切ろうと試みる。つぐみという少女に、自分を少し重ねる。体の弱い彼女は、傍若無人に振る舞う。まるで病人らしくない。でも、その気持ち、わかるな。彼女は言う、自分が死んだときに「本当は、私はこういう人間だった、と自分なりに善く解釈したりする様を思い浮かべると、虫唾が走ります」と。すごくわかる。これほど虫唾が走ることはないだろうな、と思う。つぐみは傍若無人だし、やることは無茶苦茶だけれど、彼女の一本芯の通った生き方は、やはり人を引き付ける。私は自分の闘病時代(あるいはそれ以降の事)を思いながら、『TUGUMI』を読了した。

それから、冷蔵庫に残った二玉の焼きそばを取り出して、弟と自分の分の昼飯を作る。冷凍の豚バラ肉は、こういう時に便利だけれど、焼くと少し(いや、だいぶかも)固くて、正直あまりおいしくはない。キャベツと人参も入れる。付属のソース粉で味付け。面倒なのでフライパンのまま食卓へ出す。母は体調を崩すと菓子パンしか食べない新手のお化けみたいになるので、母の昼は作らない。本当は健康的なものを食べさせたいのだけれど、夕飯はちゃんと食べるからという条件で妥協する。焼きそばにはマヨネーズをかける。ダイエットのことは少しの間忘れる。

昼の片づけをして、少しの昼寝。

そのあと、本屋へ散歩に行く。

昔近くにあった本屋は今はもうなくなっていて、歩いて二キロほどの小さなショッピングモールに入っている本屋が一番最寄りになる。ちょうど雨と雨の隙間を縫うように、家を出る。折り畳み傘は忘れずに。

途中、蓮の花を見つける。写真を撮ろうと試みるけど、うまくいかなくて諦める。私は写真が上手じゃない。どうしたら上手に取れるのかもわからないし、たぶんセンスがないのだと思う。写真で取れない代わりに、きちんと言葉で伝えられたらいいのにと、いつも思う。だけど、私が見た蓮の花の大きさや、つぼみの上のほうがほんのり薄桃に染まっている美しさなんかを、上手に伝える言葉を持ち合わせていなくて、やはり悔しいなと思う。

橋を渡り堤防をすこし進み本屋へ行く。吉本ばななの本を何冊か購入。そのまま裏道を抜けて近くの喫茶店へ。ご夫婦が営む喫茶店は、こんな片田舎にあるのに妙におしゃれでナチュラルな内装をしている。暑いので、冷たいものが飲みたくて、バナナジュースを頼む。

祖母のバナナジュースが好きだった。バナナと牛乳だけで作った、少し青臭いやつ。うちにはジュースがなかったから、ジュースと言えば祖母のバナナジュースか梅シロップだった。お店のバナナジュースも、もちろんおいしいけれど、バナナジュースを飲むたびに、祖母のバナナジュースを思い出す。別に特別でもなんでもないけど、祖母が作るだけで、魔法のようにおいしく感じた。

ジュースを飲みながら『ハゴロモ』を読む。川の多い街の話だ。私の住む町も川が多い。岐阜は木曾三川にはさまれて、昔から水害に悩まされた地域だった。私の住むあたりも、母が幼いころに近くの川が決壊し、水害に見舞われたことがある。だから、古い家々は必ず家を道よりすこし高い場所に作る。それは身を守るための大切なことだった。最近ドーナツ化現象で増えてきた建売は、田んぼを埋め立てたままであまり盛土をせずに家を建てる。決壊しないにこしたことはないけれど、もしものときを考えると、少し心配になる。そんなことを思うのも、私が生まれも育ちもこの町だからだろう。

そんなことを考えながら、本を読む。一時間ほどして、店を立つ。一週間前にも一度きたことを、店主が覚えていたのか「いつもありがとうございます」と声を掛けられる。なにか気恥ずかしくて、微妙なあいさつをして出てきてしまう。すこし、心に引っかかる。

家に帰る。途中でスーパーによって明日の生姜焼きの肉を買う。それから食パンと母の菓子パン、あとアイスも。

夕飯の準備をする。鶏肉のマーマレード煮を作る。母の得意料理の一つだ。わたしもこれがすきで、マーマレードを料理に使ってしまうところが最高だといつも思う。そのままでも晩御飯のおかずに使ってもおいしいマーマレードは魔法のジャムだとすら思う。

手羽元には切り込みを入れる。軽く焼く。マーマレード瓶半分と、酒みりんしょうゆ。煮る。煮ている間に本を読む。マーマレードのさわやかな香りが、梅雨のむっと重たい空気を少しだけ軽くする。

 

そのあと、シャワーを浴びて、少し涼んで、こうして文章を書いている。こういうただの日記を書いていると、小学六年生のときの生活ノートを思い出す。とくに書くこともないのに、書かないと怒られるからという理由だけでちゃんと毎日書いてた私はえらいけど、特に面白くもない文章を、クラスの生徒全員分みていた先生はもっとえらいなと、改めて思う。

今日はこれまで、さようなら。

 

才能がない。

才能がない。

 

まあ、そもそも「才能」とか言ってる時点で見込みがない。このブログの記事名が「○○がない」というのが多いから、そこに揃えたくて言ってみた。実際に才能があるかないかなんてわからんし、そもそも才能というものが存在するのかしないのかすらわからん。あ、運動神経とかはあると思います。なぜなら私は壊滅的に運動ができないので、運動できる人は才能がある人だと思う。音楽とかも。でも、それはやってない人から見てそう思うだけで、やっぱり実際は努力なんだろうなとも思う。

 

それで、何の話かというと、よしもとばななの「キッチン」を読んで、あまりの才能に度肝を抜かれた話である。

どひゃ~~~~~~~~~、何喰ったらこんな文章書けんねん。

読み始めてすぐ、そう思った。それから、こんな文章書けるようになりたいと思った。
ていうか、吉本ばななほど有名な作家の小説を今まで読んでこなかったといのもの、教養がなく恥ずかしいのだが(私は今まで何を読んでいたんだ)、なによりもここにある言葉の光り方に頭を殴られたような気持になった。

ちなみに、私が手に取ったのは角川文庫の『キッチン』で、ほかに「満月」と「ムーンライト・シャドウ」が収録されている。どっちもよかった。それで、今自分の書いてるものを思い出して、なんだがめちゃくちゃ恥ずかしくなった。

検索する。「よしもとばなな」。ふむふむ、64年生まれ。で、「キッチン」書いたのが87年。え、23歳???23歳で書いたの???嘘だと言って。

こういう思考になってしまうあたり、自分の中の「若さ至上主義」的なところと対面してしまい、それもそれで二重三重に苦しい。こんにちは、若さ至上主義。どっかいけ。

なにはともかく、読みながらむくむくと、言葉にならない気持ちがわいた。言葉にならない、というか、単純に嫉妬なんですけどね。

私はこれまで吉田篤弘みたいな小説を書きたいなと思っていたが、そこによしもとばななが加わった。

キッチンで眠るの、なんかいいな。ちなみに私は時々キッチンで文章を書きます。そういえば、村上春樹も「風の歌を聴け」をキッチンで書いたという。妙なつながりを感じながら、とにかく私も書かねばなと思う。才能とか言い出す前に、書け書け。

教養がない。

教養がない。

 

最近村上春樹の小説を読みながら、つくづく自分の教養のなさを実感している。
昨日noteに『海辺のカフカ』の読書感想文みたいなものをのせた。

note.com

ここにも書いたのだが、引用される小説がほとんど一つもわからない。もちろん、作品名くらいなら聞いたことはあるが、読んだことがないものが多い。ぎりぎり『源氏物語』ぐらいしか読んだことない。源氏物語長いし、意外と通読してる人少ないから、これ一本で三冊分くらいの教養にならない?ならんか。というか宇治十帖に関してはほとんど覚えてないし、威張れるほど詳しくもないからな……。

 

ということで、つくづく自分の教養のなさに辟易とした。

特にひどいな、と思ったのは音楽だ。村上春樹自身が音楽が好きだということもあって、クラシックの話題は随所に忍ばされている。だけど、正直一曲もわからん。私にわかるのは「クラシックか」「そうじゃないか」と「聞いたことあるか」「ないか」くらいのもので、第九ならさすがに分かるけど、じゃなければ曲名まではわからん。だいたい、○○第何番ホ長調、とか、よくわかんない名前付いてる方が悪い。え、悪くない?そっか。

では、ここはひとつ教養でも身に着けよう、と思うものの、さて何から読んだらいいのやら。そもそも、どれくらい読んでいる人が「教養のある人」になるのだろう。

漱石全集読んでる人?漱石は『草枕』と『二百十日』くらいしか読んだことがなく、個人的には『二百十日』が好きだ。でも『草枕』に引用されている漢詩も好き。というかそもそも漢詩が好き。詳しくないけど。そういえば『夢十夜』とか『文鳥』も漱石か。文鳥かわいいよね。

太宰もほとんど読んだことがないし(というか一冊もないのでは)芥川は『鼻』とかその辺の短編は読んだことある。あとはなんだろう。『雪国』とかかな。川端康成。『伊豆の踊子』は読んだっけ……記憶が怪しい。『暗夜行路』は諦めた記憶がある。とにかく、これくらいなもんで、ほとんどしらない。そもそも明治の文壇のことをなにもしらない。白樺派とか、いまいちわからん。

とにかくそんなことで、教養がない。

教養がないので、今書いている小説の主人公にピアノを弾かせたくてもなにを弾かせればいいのかわからない。とりあえずyoutubeで『クラシックピアノ』と検索する。あ、聞いたことあるやつばっかだわ。ふ~ん。となる。

 

といわけで、近頃はドビュッシーの音楽をよく聞いている。私は「アラベスク」が好きです。