うずのなか

はつかのこころのうずのなか

どこにもいけない。

どこにもいけない。

 

なんてことはなく、現実的な話をするとどこにだって行ける。まあ今の時期海外は行きづらいし、県外だって行きづらいかもしらないけど。だけど、現実的で物理的で実質的な話をすると、私たちはどこでだって行ける。

 

だけど同時に、私たちは時として「どこにもいけない。」と感じ、その気持ちに追いつめられる時がある。追いつめられすぎて、本当にどこにも行かなかったりする。もっと悪いと、自分自身をその追いつめた崖の上から突き落としてしまうことすらある。

人間とは、改めて考えると奇妙な生き物だと思う。

 

別にどこかに行きたいわけじゃないんだけれど、「どこにでも行ける」と思って生きているのと、「どこにも行けない」と思って生きているのでは、生きるの重さが全然違ってくるような気がする。気がする、というか恐らくそう。

閉塞感を感じる日がある。その感情を閉塞感と表現すると、平面的になってしまうけれど、他に適切な言葉が見つからない。そもそも適切な言葉を見つけることが、私の仕事なのだろうか。適切は比喩を用いて、この息の詰まりそうな(平凡な表現だ)苦しみを共有することが、私の仕事なのかもしれない。

とにかく、閉塞感だ。劣等感でもいいし、生きづらさでもいいし、死にたい、でもいい。胃の裏側あたりがねじり上げられるような、そういう感覚かもしれないし、食道を黒々としたタールのような感情が逆流してくる感覚でもいい。

「どこにも行けない」と思う、そういう気持ちも、そのひとつ。

 

でも、実際的に私の胃の裏側に居座ってキリキリとそれをねじり上げる小さく意地悪な教師みたいな存在はいないし、腹の中にタールを蓄えているわけでもないし、それに、どこにだって行ける。

 

私たちを「どこにも行けない」と思わせるものの正体について考える。思うに、彼は(彼女かもしれない)たびたび、夜中に私たちひとりひとりの枕元に来て胸に種を植えるのではないだろうか。憂鬱の種、というやつだ。それが発芽し、葉を出し、花を咲かせ、そして枯れるまで、私たちはその種に悩まされ続ける。一度枯れたと思っても、時にはすぐに彼はそれを運んできて、再び植え付ける。私たちはまた苦しむ。あるいは、そうして咲かせた花を摘み取って、なにかに活用しているのかもしれない。そうした閉塞感や劣等感や生きづらさや死にたいという気持ちが咲かせた花から、オイルを抽出し、それを世界のいたるところで匂わせているのかもしれない。きついトイレの芳香剤みたいに。そのせいで、世界は余計うすぼんやりとし、私たちはますます「どこにも行けない」と思うのだ。

 

もしそうだとして、どうしたら私たちはその連鎖を断ち切ることができるのだろう。

思うに、やっぱり大事になるのは「身体」じゃないだろうか。

自分が自由にできる頭からつま先までの身体が、ここに存在して、右手を上げようと思えば上げられ、左足を前に出そうと思えば前に出せるという、シンプルで単純だけれども最も力強い事実を認識することではないだろうか。

そして、歩くのだ。歩けば、どこかへは行ける。5m先だろうか、10m先だろうが、私たちは自分の足で動くことができる。その事実を、心と体できちんと受け止めることは必要ではないだろうか。

 

5mか10m、あるいは1キロや2キロ、それだけ歩くことができれば、私たちは事実上どこへだって行ける。駅に出て切符を買い、目についた電車に飛び乗る。それから、終点まで窓を眺める。知ってる街が通り過ぎ、知らない街が通り過ぎ、私たちはどこかへたどり着く。

それがどこだっていい。どこかへちゃんと辿り着けること、それ自体はおそらくは重要なことなんだろう。

 

と、どこにも行かないリビングの部屋で、そんなことを考えている。

旅に出たいね。

甘長の甘辛煮で韻が踏める。

甘長の甘辛煮で韻が踏める。

 

こういうしょうもないことばっか考えていることを、多少恥ずかしくも思うけれど、毎日毎時間毎分毎秒真剣なこと考えてる奴とはお友達になれる気もしないから、まあこれくらいでいいんだろうとも思う。

 

母が座敷童になった。

というと、私の家が東北の旅館か何かみたいだし、あるいは私の母が童子のようだけれども、どっちもちがう。我が家は岐阜の片田舎だし、母は御年59歳である。

我が家でいう「座敷童」とは、簡単に言えば「鬱状態」のことである。

母は長らく双極性障害を患っていて、それは双極性障害という名前が付く前は不安症という名前だった気がするし、まあ正直細かい病名なんてどうでもよくて、端的に言って鬱だ。

双極性というだけあって、母には波がある。三か月寝込んで、一カ月元気に過ごす、というのがここ一二年の母の生活サイクルだ。

元気な時の母は働き者で完璧主義者でしっかり者だ。毎朝5時に起きて散歩に行き、掃除機をかけ、洗濯を畳み、ごはんをつくる。家のこまごまとした買い物をし、常にトイレットペーパーの在庫を把握している。

一方で、元気じゃないときの母は死人のような顔をして、布団の中から出るのをひどく嫌がる。「お外は悪いものがいっぱいいる」と家から出ず、ひょこひょこと怯える小動物のような動きをし(はっきりいって還暦近いおばあちゃんがそんな動きをしても奇妙なだけである)、時には駄々をこねる子供のように座り込み泣きだす。

その状態を、我が家では座敷童と呼ぶことになっている。こっそり音もなく徘徊して人を驚かせる様からそう命名された。幸運を運んでくるようには見えないけれども。

 

昨日、母が座敷童になった。
今回の「波」はとても長く、三カ月ほど母は元気な状態を保っていた。良い状態が長く続いたことは喜ばしい反面、また鬱状態に戻ったことが悔しくて情けないらしく、とても悲しそうにしている。たぶんそういう性格であるところが、母が鬱である要因の一個だとおもうのだけれど、それは言ってもしょうがない。

母が倒れると、自動的に私がご飯づくり担当大臣兼買い出し担当大臣兼掃除担当大臣に任命される。

そういうわけで、夕食を作らなくてはならなくなり、しかたがないのでキーマカレーを作った。玉ねぎとひき肉だけでできる、素敵である。

野菜が足らないのでサラダを、と思い冷蔵庫を見るとレタスがない。買い出しに出る。

トマトも買う。あと菓子パンも。母は座敷童になると昼ご飯に菓子パンを所望する。座敷童ならもっと和風なものの方がいいのではないかと思うが、なぜか菓子パン、とくにメロンパンに固執する。こういう、小さなところに謎の拘りを持つのも、母の特性の一つだ。

カレーとサラダ。ちょっと少ないかと思い、副菜を考える。野菜コーナーを一回りして、甘長を見つけた。

夏を感じながら、甘長を買う。

甘辛煮にすることに決めた。

 

母が倒れるとあらゆる家事が自動的に私の担当になる。

正直面倒くさくて、嫌だ。

だけど、思い立って甘長を買って副菜を作ることができる。この自由さを、結構気に入っていたりする。

甘長の甘辛煮で韻が踏めるな。

そう思いながら、IHの前で鍋を振るった。

 

ちなみに、バイトに行く弟には「踏めてない、甘長(a)と甘辛煮(i)じゃ踏めてない」と言われた。バイトから帰ってきて夕飯があると思うなよ。

無意識な消費。

無意識な消費というものについて、考えることがある。

まず大前提として言っておきたいのは、私は何かや誰かを批判したいわけじゃなくて、自分の持つ違和感について、一度きちんと観察し考察し言語化しておきたいだけだ。だから、これは特定の行動を批判するわけじゃないし、そういうことをしている人たちのことを嫌いなわけじゃない。ただ、わたしはしない、というだけの話で。

という言い訳を述べてみても、「しない」というだけなら黙ってしなければいいだけなんだけど、こうして文章にまでするくらい表出しているってことはどこかでやはり不快感を抱いているからなのかもしれない。けど、この不快感が非常に身勝手なものであるのも重々承知しているし、それはつまり、街ゆく人の服装に「うわ、あれはないわ」っていう、みたいな、そういうところがあるのかもしれない。あるいはすごい楽しくお酒飲んでいる人達の横に来て淡々とお酒の害悪について語り聞かすことに似ているのかもしれない。

本当に分かってほしいのは、ただ、私は自分の感じる違和感について、言葉にしておきただけだ、ってこと。じゃないと、この小さな感情の粒はどっかへ行ってしまう。そしてその発生源は、また次にあらわれるまで静かに海の底で眠りにつくだろう。いつもそこに影を落としながら。

 

一通り言い訳をしたので、本題に入る。

本題と言っても、現在進行形で進んでいる「何か」について言及するのではなく、それによって呼び起こされた私の経験と感情を、寓話的に用いることによって、遠回りをして直接批判を避ける形になる。私は人に喧嘩を売りたくないし、怖がりだ。そのくせ、けんかっ早いところや、潔癖なところもあるため、裏表が激しいと自負している。そういう中間をとるために、自らの経験を寓話的に用いる。

私が癌だったことは、noteを読んだことある人なら、ある程度知っていると思う。知らない人は、はじめまして。元がん患者です。どうも。

中学一年生の時に癌が発覚した。まだ夏前の、ちょうどいまくらいの時期だったか。発覚時にすでにステージ4だった。中学一年生の夏休みに手術をした。手術後はすぐに学校に復帰ができないだろう、ということで、夏休みに入る前に学校には癌であることを報告した。

「このこと、クラスの皆には言っていいの?」

先生が聞いた。誰もいない教室だった。夏前の、静かな、明るい教室だった。親と私と先生だけが話をしていた。

「嫌です」

私は言った。嫌だった。「病気の子」として扱われるのも嫌だったし、何より「病気の子」がクラスにいることによって、それを利用した道徳教育をされることが嫌だった。私は道徳教育の材料じゃなかった。

私の病気は、ごく個人的な、私のものだった。ほかのだれのものでもない。私のものだった。

だけど結局先生はそのことをクラスメイトに話して、私の癌は、私のものではなくなった。

 

きっと、すべての、すべての出発点はここにある。

「その物語が誰のものなのか」

これが重要だ。その物語は他人のものではない。その物語をきっかけに、他人が考えたり感じたり、そういうことを「正しい」ことのように、あたかも「すばらしい」ことのように振る舞う世界そのものを、私は嫌悪している。これは、私の個人的なトラウマからくる嫌悪感であり、他の誰かにとってもそうだとは限らないけれど、でもやはり、そういうのを見ると、私は嫌になる。

自分の物語は重要だ。私にとっての物語は、私がそこに意味を見つけなければならない。あるいは、そこに意味なんてないことを、見つけなければならない。他人が、勝手に意味をつけていいものじゃない。他人が、勝手にそれをきっかけに団結していいものじゃない。少なくとも、私はそう思う。

まるで、どこか別に人の病みたいに、そうおもっちゃうんだ。自分のものじゃなくなる、私が癌なのに、みんなが癌みたいだ、みんなが考えるきっかけを、あるいは団結する切っ掛けをつくるために、ガンになったみたいだ。違う。断じて違う。これは私の癌だった。私の物語だ。誰にも奪えない。

 

無意識な消費に、違和感を持つ。あるいは潔癖なまでの嫌悪感を。

その根本を辿っていくと、そこには中学生の私がいる。まだ自分で自分の状況を受け入れられてない、幼い私だ。そのくせ、全部承知してるようにふるまっている。強がりで、強い子で、弱かった。

だめだ、きちんと書けないな。まず言葉にするのが面倒くさいし(それを克服するためにこうして書く練習を試みているのだが)、それがまっすぐ伝わるとも思えない。だいたい、まだこのことについて書くのを悩んでいる自分がいる。つまり、「しらける」行動をとることに。

でも、どうしても自分と重ねてしまう。

「病気の子」になった自分と。

この件は少し保留、感情がごっちゃになるし、うまく言えない。文章を書くのはいつも難しい。心の言葉を訳すのは、いつだって死ぬほど「面倒」だ。

誰も私に興味がない。

誰も私に興味がない。

それが喜ばしいことなのか悲しいことなのか、私には今一つわからなくて、もっと人に影響を及ぼせる人間に、つまり有体に言えば「有名に」だったり「尊敬される人物に」だったりになりたい気持ちがないわけじゃない。だけどそれを熱烈に望んでいるならば、こんなインターネットの片隅で文章を書いたりはしていない。

もっと簡単に承認欲求を満たす方法はいくらでもある。例えば、胸の谷間を強調した写真をSNSであげてみたりとか、そういうことだ。それがいいとか悪いとかは置いといて、一定の承認欲求(つまり、誰かからの反応をもらうことだ)を満たすことができると思う。まあ、それが「尊敬される人物」かは置いといて、だけど簡単に、百人くらいのフォロワーはできるんじゃないかと思う。やったことないからわかんないけど。

別に自分の体に自信があるわけじゃなくて、世の中はそれだけ女体を対象化して消費しているってだけのことだ。この話はちょっと今日の本筋じゃないから、これ以上社会における女体の対象化と消費について書くつもりはないけれど。

 

じゃあ、なんで私はこんな片隅で、本当に片隅で文章を書いているのか。と問われれば、それは答えるのが難しい問題だ。たとえば、それほど多いわけじゃないけど一定の読者が(たぶん10人くらい)いるnoteに書けば、反応がもらえる。それは「すき」とかいう形となって手元に届いて、少なくとも誰かは読んでくれるという充実感を得ることができる。

だけど、見られているとなると、書けないこともたくさんある。と思う。わかんないけど。

昨日の記事で、自分の名前を自分で決められるのはインターネットのいいところだ、と書いた。そのあとに書こうとしたことがすっぽり抜けていて、なぜか話は別のところへいってるのだけど(これは読み返してから気づいた。私にはこういうところがたくさんある)、私はそのあとこう書こうとしていた。「だけど、名前を決めると、そこから外にでることができなくなってしまうのではないか」と。

 

「はつか」と適当に着けた名前には、一定のイメージがあるんじゃないかと思う。お前程度の書き手(書き手って表現どうなんだろう)にイメージを抱いている人間はいない、と言われればそれまでなんだけど、それでもやっぱり、一定、あると思う。

それは私が作った「ガワ」だけど、それが窮屈でうっとうしい気持ちになることもある。だからこうして、違うところで文章を書こうと試みていたりするのかもしれない。

じゃあ、名前を変えてやればよいのでは、という気持ちもあった。けど、端的に言うとこの試みは「はつか」の境界を拡大していくためにある。つまり、「はつか」という私が作り出した外枠を、「わたし」という現実の外枠に近づけてみたいと思うのだ。

よくわからないけれど、私はこの「はつか」という人格を(人格というか名前を、の方が正しいかもしれないが)これからなにかにつけて使うだろうと思っている。

そのためには、名前の外にある「わたし」に、「はつか」を近づける必要がある。「はつか」だけが持っている材料では、あらゆることが小さくて少なくて、窮屈すぎるからだ。

そのために、noteを出る必要があった。たぶん、そういうこと。

私は書きながら考える癖があるし、書くことは私にとって、暗号を解読するみたいなところがある。

自分の中にある独自言語みたいなものを、読解しているのだ。読解と言っても、一個ずつ取り出してきちんとみてるわけじゃなくて、おおよそこんな感じ、と言葉にしてみる。してみると、なるほど、こういうことなのか、と思うことがある。あるいは自分の書いたことの裏に隠されたものを、さらに読解することによって、自分が本当は何を考えていたのか気づくことがある。

ずいぶん、遠回りな自己との対話をしているのだなと、最近気づいた。私は自分の事を、自分の人生やありかたみたいなことを、ずいぶんと考えてきたと自負している。人と比べることはできないけれど、それでもずいぶんと考えてきたはずだ。それは、幼いころに病気を患ったことから起因しているし、そういうことを考えすぎて登校拒否とかしていた時期もある。

だけど、それらを全部言葉に落とし込もうとすると、なにも出てこなくて、自分が何も考えてなかったんじゃないかとすら思う。

そこで気が付いた。私の気持ちは言葉になってないんだって。
それは、情報という形をとって、小さな泡が渦を巻いて私の周りを取り囲んでいるみたいなものだ。一個ずつは、すごく「言いたいこと」を凝縮しているのに、それが言葉の形をとっていないから、私は言葉に落とし込めない。ただ、感情だったり、断片的な単語だったりが、渦を巻いている。

「マルドゥックスクランブル」という、私が好きなSF小説がある。中学生の時に読んで、私はこの小説にずいぶんと救われた気がする。このなかに、主人公がインターネットの中に潜るシーンが登場する。それは、文字通り「潜って」、情報を伝達するプールの中に「潜って」インターネットの中にある情報を探していくのだ。その様は、ちいさな嵐のなかで、その風ひとつひとつを、なでて、意味づけしていくみたいな感じだった。私は自分の中の独自言語を覗く時、いつもこのシーンを思い出す。そして、それを日本語に翻訳して、文章として書きだしている。この翻訳作業がすごく疲れるので、疲れる、というか面倒くさいので、なんとか楽にできないかといつも思うけれど、なかなか難しい。

このブログのタイトルを「うずのなか」としたのは、そういう理由がある。

つまり、わたしはその渦の一粒一粒の泡を、なでて、そこに詰まる感情とか断片とかを、文章の形に落とす練習をしたいわけだ。

そして、それと同時に、「はつか」の境界をその渦の中に落としこんで、「はつか」のまま渦を操れるようにしたいのだ。

つまり、このブログは私の言語化練習場所であり、同時に一体化への実験室でもある。まあ、そんなことを言っておいて、イメージとしてはチラシの裏だったりがあっているような気がする。「チラ裏」って言葉、すでに古典となっている気がするけれど。

だから、投稿は不定期だけど「定期的に書く」練習もしたいので、できるだけ毎日書くつもりでいる。つもりはつもりなので、確約ではない。

でも、私がどれくらいの頻度で何を書こうが、誰にとってもどうでもいいことだ。

だって、だれも私に興味がないのだから。

面白いものが書けない。

面白いものが書けない。

 

自分の名前を自分で決めれるのがインターネットのいいところだけど、その名前に一個の人格を持たせてしまうと、それ以外の部分がどこかに消えてしまったような気持ちになる。罪悪感というかなんというか、まあよく見せようという気持ちが働いているのは事実だからしょうがないのかもしれない。だけど実際、罪悪感を抱く必要があるほどの(この表現自体奇妙だが)嘘を書いたことは一度もなく、どちらかというと真実しか書いてない。ただ、真実全てを書いてないだけだ。

 

たぶん、それが私が面白いものを書けない理由の一つになっているんだと思う。こう書くと、それさえなければ面白いものが書けるみたいで、それもそれで違う気もすんだけど。

 

普段noteでエッセイみたいなものを細々と書いている。それはもう、細々と。賞に応募して佳作をいただいたこともあるけれど、それ以外は何もない。フォロワーは多くないし、同じ時期にnoteを始めた人や、それより後に始めた人で、すごくフォロワーがいる人もいる。

そういうことが心の中で棘のようにちくちくとするたびに、じゃあ私はフォロワーの数やすきの数のために書いているのか、と思うと、それも違う。これは違うと思う。違うけど、こういうの見えると、気にしちゃうくらい、普通な人間なのも事実である。

 

私にはアンチがいない。いや、普通に生きてたらアンチができるなんてことないんだろうし、いないならいないでいいんだろうけど。だけど、誤解を恐れず言うのならば、アンチがほしいと思うことがある。

それってつまり「何か一言いいたくなる」くらい、その人の文章が心に残ったってことだろ?

その事実が、正直言って無茶苦茶にうらやましい。

私の記事は誰にも批判されないけれど、その代わりに、誰の心にも刺さってないのではないかと感じる。

いや、好きだと言ってくれる人はいる。そういう人の言葉に、心の奥底を掬われるような、背中を押してもらえるような、そういう気持ちになることもある。でも、ずっとその気持ちが続くわけじゃなくて、こういう数字に固執したり、反応に固執したりしている自分もいたりする。

 

自我ってやつだ。
これを言語化するのは難しいので、と言って投げ捨ててしまいたいんだけど、これを言語化するのが私の(あるいは物を書く人すべての)仕事なんだとも思う。

けど、やっぱりそれには体力が必要だ。

だから、今日は面白くない話をして、このブログを閉じようと思う。

おやすみなさい。